この仕事をしていると、何度も何度も聞かれることなので、

ホームページ内で書こうと思います。

少し長くなりますが…

 

小学5年生の時、父が映画の券をくれて、母と二人で観に行った。

松田聖子さん主演の『野菊の墓』だった。

当時は今のように、ネットで時間を調べて観に行く事はなく、

とりあえず行ってみて、途中から見てまた見た場面まで見るとゆ~感じだった。

その時、同時上映で真田広之さんや志穂美悦子さんが出演していた

『吠えろ鉄拳』がやっていた。

日本でも、こんなすごいスタントをする人たちがいるんだ!

と衝撃的だった。

母は夜の仕事を経営していたので疲れて寝ていたけど

その隣りで私は将来の夢を決めていた。

スタントの道に進みたいと…

ずっと夢を持ち続け、高校を卒業したらアクションクラブに入ろうと思っていた。

でも、あと少しで卒業という3月に父が倒れた。

2年近く入退院を繰り返した。

父は自営だったため、とにかく色々大変だった。

私も一度、夢はあきらめ就職した。父の状態が落ち着いたとき二十歳になっていた。

挑戦もせず、あきらめるのはイヤだった。

好きな道に進むのに親の力は借りたくなかったので、一人暮らしをはじめた。

一年後の21歳のとき、千葉真一さん主催のジャパンアクションクラブ(JAC)の

オーディションを受け合格した。

ただ、この時すでに朝晩バイトづけで体はボロボロだった。

合格通知を受けたすぐあと、入院してしまった((+_+))

事務所に相談したところ『保留』にしてくれて、次の期の人たちと入所することになった。

厳しいと覚悟はしていたけど、想像を絶する厳しさだった( ;∀;)

入所して初日で数名消え、1か月経つ頃には大分人数が絞られていた。

私の同期、24期生は社会人が多く皆、働きながら通っていた。

当時、真田さんたちは既に辞めていて、JACは時代村の会社、

大新東グループに吸収合併されていた(;´Д`)

なので養成期間の一年が過ぎると時代村で働かなければいけなかった。

半年が過ぎた辺りから同期生は毎日迷っていたと思う。

続けたい…でも将来は…

結果、私は10か月でJACを辞めた。

でも辞めてからの方が苦しくて大変だった。

目標がなくなって、ただ生きるためにバイトをしてるだけ。

だんだん朝が来るのがこわくなって、あまり眠れなくなった😢

そんな状態が約半年…

そんな時、宮内長生治療院の宮内先生に出会った。

毎日予約でいっぱいで、新規は半年待ちだった。

ちょうどJACを辞めた頃、母が二人分の予約をしてくれていた。

初回の施術は痛くて泣きそうだった(>_<)

心身ともにボロボロだったので…

2回ほど受けたら、眠れるし朝もスッキリ起きれるようになった(^.^)/

施術を受けながら、現在の状況を話したら、

『体の状態が良くなれば、必ずやりたい事が見つかるわよ』と言ってくれた。

そして国家資格を取るまでは色々大変だったけど、気付けば指圧師の道を…

今振り返ってみると無駄な事は何一つなかったなぁと思う。

きっと、別の道に進んでいたとしても、やっぱり最終的に指圧の道を選んだと思う☆彡

 

ちなみに尊敬する宮内先生は数年前、すい臓がんであっという間に亡くなられました。

(60代前半でした)

告別式に参加した時、会場からあふれるほどの患者さんの数に驚きました。

たくさんの方が先生から元気をもらったのですね(^_^)

私もお迎えが来る直前まで指圧師として頑張ります!

 

それから、JACは25期で養成所は一旦終了。

ネットでの情報になりますが、2006年に元JACの方たちが

現在の JAE (ジャパンアクションエンタープライズ)として立て直したようですね。

こちらは千葉さんとは関係ないようですね(^_^)

 

長~い文章にお付き合い頂き、ありがとうございました!!